第4回目は、ギャンブル障害(嗜癖)のDさんです。
※個人情報等について、加工しています。
1.支援の経緯
葛飾区福祉事務所より入所の相談電話がありました・・・と、いつもであれば、このあと面談までの経緯を書いていくのですが、今回のDさんは、他の人たちと事情が異なります。
施設利用者を経て、当会支援付き職員として採用された人であり、そのあと苦楽をともにしながら施設運営に協力してもらった人だからです。
こうした事情から、Dさんの生育歴と生活課題については、他の利用者さんとは異なるかたちで把握していくことになりました。
そのため、今回の報告はいつもとは異なった報告となっています。
2.生育歴の聞き取り
福祉事務所ではじめてであったDさんが語ってくれた生育歴は、以下のとおりです。
Dさんは、両親の離婚をきっかけとして、義母とすでに同居していた父親に引き取られ、父と義母、義妹の4人で暮らしはじめます。中学校1年生のときのことで、転校も経験します。実姉2人とは連絡がつきましたが、Dさんの実母の所在は不明でした。
そして都内F市へ引っ越したのち、Dさんは公立の定時制高校に入学します。
日中は、父が経営するコンビニの手伝いをしなければならず、生活は多忙でした。そのため高校に通う時間は、なかなかとれませんでした。高校1年生の12月頃、担任の先生から「このままでは留年になる」と警告されてしまい、翌年の3月に入ると、しかたなく中退することに決めます。学校とコンビニ手伝いのどちらかを選ばなければいければいかない状況に追い込まれたので、Dさんは躊躇なくコンビニ手伝いを選ぶことに決めたのです。
しかし、高校中退が明らかになると、父親と激しくケンカすることになってしまいます。幼少期から父親の暴力がひどく、「殴る蹴るは日常茶飯事で、父親が不機嫌にならないように気をつかって生きてきた」きたDさんにとって、父親のためをおもい選んだ決断だったはずでした。ですが、そのことを父親に打ち明けたとたん、「自分(父)に相談がない」という理由で激しく叱られたため、Dさんは我慢の限界を迎え、実家を飛び出してしまいます。
家出したDさんは、当時コンビニに置いてあったバイト求人雑誌で見つけた配管工に応募します。無事採用され、実家と同じF市内の、社長名義で借りてくれたアパートでひとり暮らしをはじめます。こうして約4年間、配管工として勤めることになりました。
配管工を辞めるたのは、父親から入った電話がきっかけでした。
「体調が悪くなったので、仕事を手伝ってくれ」と、相談がありました。実家を飛び出してから、かなり月日も過ぎており、Dさんの心のうちにあった、わだかまりもだいぶ落ち着いていたので、F市内にある父宅に戻ることにしました。そして実家に戻ってみると、父親はひとりで暮らしていました。父親の暴言・暴力はあいかわらず続いていたらしく、義母・義妹とも別居していたのです。
みかねたDさんは父親と同居して生活の面倒を見ながら、体調の悪い父親の代わりにぶっつけ本番でコンビニ経営をはじめます。ですが、ほどなくして父親は逝去してしまいます。実務経験のないDさんの手腕では、とうぜんコンビニ経営は上手くいくはずもなく、閉店せざるをえなくなります。
落ち込む暇もなく、Dさんは防水工職人として働きはじめます。コンビニでレジ打ちをしていたとき、お昼ご飯を買いに立ち寄る職人さんたちの姿が「かっこよくみえた」からというのが就職理由でした。
そして生活費の負担を少しでも減らす工夫として、別の会社で働いていた実姉1人に連絡をとり、「アパートを借りるお金が貯まるまで、一緒に暮らそう」と共同生活を提案し、二人暮らしをはじめます。
実姉との仲はそれほどよくありませんでしたが、父親から暴力を受け、耐えつづけてきたという共通体験があったおかげで、Dさんにとって、実姉は家族の情をかなり感じる相手でした。
こうして実姉と共同生活をはじめて2~3ヶ月経ったころのことです。今度は生活に困窮していた義母と義妹から連絡が入り、結果的に、Dさん宅に転がり込み、4人で暮らしはじめます。しかも、義母は借金を抱えており、義妹も私立高校の学費支払いに追われていました。見かねたDさんは、いたしかたなく義母の借金と義妹の学費約12万円/月(借金返済に4万円、学費に月8万円)を、自分の給与から毎月支払うことを決めます。
そして約2年半年が過ぎたころ、義妹の高校卒業を迎えます。そこでDさんは義母と義妹に対して、「一緒に働いて生活を支えていってほしい」とお願いします。ところが、2人ともいっこうに働くそぶりをみせません。そればかりか、Dさんに対して生活費や遊興費を無心しはじめるようになります。
募り募ったイライラがついに爆発したDさんは、ふたたび家を飛び出すことになります。
家を飛び出してから2~3ヶ月は、貯金もあったので、F市内の漫画喫茶に泊まりながらパチスロ店で過しました。ギャンブルをして生活費を稼ごうとします。しかし、プロギャンブラーとして生計を立てていくことは難しく、ほどなくして所持金が尽き果ててしまいます。困り果てたDさんは、生活困窮支援制度についてインターネットで調べ、東京都23区内であれば自立支援センターという制度が利用できることを知ります。F市から交通の便がよかったS区に移動し、S区役所に相談、その日のうちに当時運営されていた自立支援センター目黒寮に入所することになります。
今後の支援方針を決めるために行う入所時面談では、即時就労を希望します。しかし、目黒寮職員からは、「就労ではなく、ギャンブル依存症を治療するため通院することを施設の利用条件とする」と言い渡されます。こうして、Dとしてはしかたなく、ギャンブル依存症の治療先として指定された麻布十番にあるSクリニックへと通院することになります。
Sクリニックでは、「ギャンブル依存よりもコミュニケーションに問題がある」と指摘されましたが、目黒寮の支援方針に従い、Dさんはギャンブル依存の治療に取り組むため、通院を続けることにします。ところが、しばらく通院してみると、通院している人たちは重度の精神疾患を患った人が多いことに気づきます。「自分はこの人たちとは違う」という気持ちが強くなっていき、数回通院したあと、ついには継続治療をやめてしまいます。
そのかわり、Dさんは勝手に就職活動をはじめ、葛飾区亀有にあるパチスロ店に就職することになります。自立支援センター目黒寮は6月から11月まで約6ヶ月利用しました。
正社員としてパチスロ店に勤務しはじめると、業務もまだうろ覚えだったにもかかわらず、主任へと昇格してしまいます。そして、昇格したとたん、管理職扱いとなり、休憩時間も休日もない生活に突入します。社員寮は隣県M市にあったのですが、残業も多く、プレッシャーもかなりきつかったため、ついに耐えきれなくなり、平成27年3月頃、Dさんは夜逃げ同然に社員寮を飛び出しました。
飛び出したDさんは、社員寮のあるM市内のマンガ喫茶に泊まりながらパチスロに明け暮れる生活を過ごします。そして前回と同じく、2~3ヶ月後には所持金が尽き果てると、その年の6月10日、葛飾区福祉事務所へ相談することになります。今回はタイミングが悪く、「今日はもう閉庁時間だから、また来週来て下さい」と相談員に言われ、別れ際にあめ玉1個をもらって、福祉事務所を追い返されます。
行く先を失ったDさんは、「野宿するとまた不良集団に襲われるかもしれない」と感じ、今回は葛飾区と墨田区を終日歩いて過ごそうと試みましたが、結局上手くいかず、葛飾区内の公園で野宿しました。翌週月曜日にふたたび葛飾区福祉事務所に相談し、ようやく自立支援センター足立寮(当時)に入寮することができました。とはいえ、ここでも重度のギャンブル依存と判定され、Dさんが希望していた就職準備のための就労移行プログラムを利用することはできません。
そのかわり、生活保護制度を利用してギャンブル依存の治療に専念することが、葛飾区福祉事務所の支援方針として決まります。こうした経緯を経て、私たちと面談することになったのです。
3.生活状況の聞き取り
続いて、生活状況について気になった点は、以下のとおりです。
・Dさん自身としては、ギャンブル依存症という自覚はなく、「(ギャンブルがやめられないことは、)自分の気持ちの問題であって、病気ではない」という考えかたに、強くこだわっていました。
・Sクリニックでは、「依存症というよりも、コミュニケーションに問題あり」と、意味深な診断を受けています。
・幼少期から、父親の暴力を避けるため、父が不機嫌にならないように、つねに気を遣って生きてきたという自覚があります。
・過度に気を遣うクセが身についたからなのか、コンビニのレジ対応中に「おつり〇円です」と伝えようとすると、どもったり、体が痙攣することがあったそうです。パチスロ店で勤務していたときも、主任に昇格したため、朝礼で他の従業員の前であいさつするさい、どもったり、体が痙攣したりしていたとのことでした。
・ギャンブルとギャンブルに関連した内容になると、職員の私の見立てや助言に対し、とたんに「こたえない」「語らない」「へそを曲げる」という態度をとったり、ときおり冷笑的な笑いを浮かべることがあり、消極的なかたちで反発していることがよくわかりました。
・タバコは2日で1箱(紙タバコ20本)、で、酒はつきあう程度しかのめない(体質的に受けつけない)。
・借金は入所当時で、大手消費者金融から200万円ほどあり。生活費とギャンブル代に充てたとのことでした。
4.生活課題を明らかにする
上記に記した聞き取りをふまえて気になったことは、以下3点です。
①自立支援センター利用時にギャンブル依存と見立てられていますが、Dさん本人にはその自覚がなく、公的制度を利用しているにもかかわらず、自らの意思で通院を打ち切っていること。
Dさん本人は「自分の気持ちの問題であり、ギャンブル浪費は自己責任である」という考えかたに固執しており、病識をもてないというよりも、持ちたくないようでした。「治したい」という気持ちがなければ、通院する意味を見いだせず、どれだけ公費を投入して通院を促しても、治療効果は期待できるはずがありません。
②幼少期から父親の機嫌を損なわないように気を使って生きてきたこと。
暴言・暴力から逃れるため、幼少期から相手の気持ちを読みとり、過剰に気を使い、相手にあわせようとする特性が身についているかもしれません。感情的な言動に対して、普通の人以上に心理的ダメージを受ける可能性がありそうです。相手の感情に対する過剰集中や過剰不安によって、どもってしまったり体が痙攣するというような”反応”が現れているのかもしれません。
Sクリニックで、”ギャンブル依存よりコミュニケーションの問題を改善した方がよい”という助言があった理由は、これかもしれません。
③質問には答えるが、どこか、反抗的で冷笑的な印象を受けること。
これまでの人生経験から、助けが必要なときに誰からも助けてもらえず、自分の境遇についてどこか"諦め"ているように感じられ、いわば達観してしまっているような印象を受けました。これまで助けを求めたい、あるいは求めた機会は山のようにあった。それにもかかわらず、誰も助けてくれなかったじゃないか、というような心の奥底に秘めた怒りが、いまごろ支援を行おうとする人たちに対する拒否感や反発感として、燃え上がっているのかもしれません。
他方で、「自分以外の存在は、すべて敵だ」というような、極端な考えかたに到達するほどまでには偏っていないらしく、職員の私のはなしをとりあえずは聞いてくれているので、健全な認識に改めていく可能性は残されているように感じられます。
5.支援方針の設定と実施方法
Dさんは、生きていくことがうまくいかなくなるとギャンブルにのめり込み、所持金を使い果たして生活を破綻させるということを繰り返しています。「ギャンブル依存」で、かつ「病識なし」と見立てられそうです。言い換えれば、ギャンブルとの付き合い方を見直していく必要がありそうです。
さて、話を続けていくまえに、ここで用語を統一させてもらいます。このブログでは、これ以降、ギャンブル「依存」のことを、ギャンブル「障害」と表記します。というのも、「依存」は、物質に依存している状態のことをさすからです。他方、例えば、ギャンブルがやめられないという状態は行動の依存と言われ、この行動依存ことを「嗜癖」と呼んで、ことばを使いわけています。嗜癖には、ゲームや痴漢行為などが止められない場合も含まれます。精神医学用語としては、ギャンブル嗜癖のことを病的賭博、あるいはギャンブル障害ということにしているそうです。
ということで、話を戻します。Dさんの場合、ギャンブル障害という「病気のしくみ」について理解してもらうとともに、「自分は病気である」という病識を獲得してもらう必要があります。病識を獲得しなければ、治療プログラムに参加しても、その効果が見込めないからです。
次に、どもりや痙攣、それと反抗的で冷笑的に感じられる態度の問題についてです。これは、不安障害や対人恐怖に起因する反応のようにも感じられ、その背景には父親との関係がかかわっているのではないかと見立てられそうです。
改善にあたっては、心理療法を利用する方法がありえます。ただし、カウンセリングを典型とする心理療法は、自分の気持ちや行動を言葉にできる能力や、言葉の意味を正確に理解できる一定の能力が求められるため、少なくとも言葉の表現能力や理解力について確認しておく必要があります。
施設側では、施設での共同生活をとおして、他人から受け入れられ、認めてもらえる経験を積んでもらい、いわゆる自己肯定感を育んでもらえることを目指したいところです。
最後に、借金については、その金額からして自己破産の手続きをとることが現実的のようです。もちろん、今後はお金を借りてまで、ギャンブルできないようにする必要がありますし、金銭消費能力を確認するために、当面のあいだは金銭管理も必要ではないかと考えられます。
そもそも、ギャンブル障害とは、脳の報酬系とよばれる仕組みが、ギャンブルという刺激と結びついてしまったがゆえに、「わかっちゃいるけど、やめられない」状態に人を陥らせてしまう障害だと考えられています。報酬系と特定行動がいったん結びついてしまうと、食欲や性欲といった生命の維持に必須の欲求と同じか、あるいはそれ以上の欲求となってしまいます。そして、ギャンブルすることだけがその人の生きる目的となり、それ以外のことが手段化されてしまうため、最終的には、本人の人格まで変化させてしまうことがあります。ギャンブルをし続けるためには、平気で隠しごとや嘘をつけるようになり、人をだますことや犯罪でさえ、躊躇なく実行できるようになってしまうのです。
依存・嗜癖という障害と向き合うためには、こうした障害や人格変化等の特性を正しく理解したうえで、適切な距離をとった対応ができる必要があります。そうでないと、関わる側のほうが翻弄され続け、泥沼にはまっていくことになりがちです。とくに親族など身近な人であればあるほど、ギャンブル障害を抱える当事者の言動に巻き込まれ、気がつくと取り返しがつかない状況に陥ってしまうということが簡単に起きてしまうという意味で、恐ろしい病いであると言い切れます。
対応としては、まずなりより、本人よりもその家族など、異変に気づいた関係者だけでよいので適切な専門機関につながること、そして専門家から助言をえることが重要です。そのうえで当事者本人が嘘をつかず、正直に身に起こったことをはなせる環境をととのえていくこと。金銭浪費に対しては、少なくとも第3者もかかわるかたちで他人がお金を管理し、金融機関や知人等からお金を借りられない環境をつくっていく必要があると言われています。
金銭管理にあたっては、本人さえ納得すれば管理してよいというものでもなく、第3者が出入金状況を確認できる体制をつくっておくことが望ましいとされます。残念ながら、預かり金横領事件の加害者は、家族や施設職員だけではなく、社会的信用度の高い公務員、はては弁護士まで含まれることがあるという厳しい現実があります。今回の事例でいえば、福祉事務所のケースワーカーが介在しているため、私たちは月例報告をとおして第3者が確認できる体制となっています。
以上の支援方針について、Dさんと協議して同意をもらい、そしてこの日から、約10年にわたる私たちの関わりがはじまることになったのです。
6.支援展開
(1)施設利用者だったころ~施設での支援初期
面談時、ギャンブルの話題になると、とても冷笑的な反応を見せていたDさんでしたが、施設入所後は少しずつ、素直で協力的な態度をみせてくれるようになります。とはいえ、最初からうまく進んだわけではありません。
施設入所初日、他利用者さんとの顔合わせのとき、みんなに不穏な雰囲気が漂っていました。Dさんは、いつになく緊張した様子で自己紹介をはじめます。見かねた高齢者の利用者Aさんが冗談を言って、その場を和ませてくれる気遣いを見せてくれ、Dさんも思わず吹き出し、笑いだしました。すると、別の60代の高齢利用者Bさんが「なに笑ってんだよ」と怒りはじめたのです。
怒りだした利用者Bさんに対して、職員の私が注意し、その場をおさめます。あとでその利用者Bさんに「なぜあんな態度をとったのか?」確認します。すると「まだ20代半ばのくせに生活保護をもらうなんてありえない。だから、俺たちが舐められないため」に、あえて怒ったとのことでした。
そのときのDさんは苦笑いのような引きつった表情を絶やさず、張り詰めた空気のまま、その場に座っていました。
この一件があってからしばらくのあいだ、Dさんは他の利用者さんと距離をとって行動するようになります。
例えば、当時は週末に地域清掃と称して、職員と施設利用者さん全員で、施設周辺のごみ拾いをしていました。朝8:30にはみんな集合し、地域清掃をはじめます。職員が声掛けすると、Dさんも参加はしてくれるのですが、ほかの利用者さんたちが出発したあとに10メートルくらいのつかず離れずの距離を保って、私たちのあとをつけてくるような有様でした。
こうして、他の利用者さんたちとのぎこちない関係が続いていたある日、転機が訪れます。高齢の利用者さんが風呂場の壁にぶつかり、壁にひびが入ってしまったのです。このままでは水漏れにより、風呂場が使えなくなってしまいます。そのころは施設運営に対する公的補助もなく、修理費用を捻出することもままならない状態でした。職員が途方に暮れていると、元内装職人だったDさんが、自ら補修を買って出てくれたのです。
つづけて、そのあとDさんはトイレにウォシュレットも取り付けてくれることになります。
修善のための買い物をとおして、Dさんと職員の私は、雑談する機会が増えました。そして、なぜ他の利用者さんと距離をとった行動をしているのかについても、教えてもらえるようになります。
高齢の利用者さんたちから20代半ばのDさんに対して、「「なんで生活保護の施設にいるんだ?」「なんで働けるのに、生活保護がもらえるんだ?」というような質問が相次いだだけでなく、「みんな(Dさんに対して)高圧的な態度をみせてきました」「(Dさんが)あいさつしても、誰もあいさつを返さず、無視されていました」「集団でのごみ拾いも、自分にだけ、集合の声がけをしてくれませんでした」」というような扱いを受けつづけていたのです。
それだけでなく、そもそも「生活保護という制度のことを知りませんでした。だから、働かなくても、毎月お金がもらえるということがよく理解できませんでした。「あとで何か利用されるのではないか?」「追加で利用料金を払えといわれるのではないか?」と、不安でしかたありませんでした」と、施設利用当初の心境も教えてくれました。
そうこうしていくうちに、ギャンブルについても、はなしをしてくれるようになります。
まとめると、次のとおりです。
「コンビニの店長代理として働いていたとき、お昼ごはんを買いにやってくる職人のことを、とても格好よく感じていました。だから、次に働くとすれば、職人になりたいと決めていたんです。だけど、いっしょに働きはじめたら、学歴コンプレックス丸出しの人たちばかりだと気づきました。共通の話題は、下ネタかギャンブルくらいしかない、下らない人たちだったんです。」
「じつは自分の父は自営業だったので、羽振りはよかったんです。自分も中学2年生の頃からコンビニの仕事を手伝っていたので、収入もあり、同級生たちを軽く見下していました。でも、そのあと職人として働きはじめたら、自分の勘違いぶりを痛感しました。コンビニで働いていたときは「オーナーの息子」だったので、他の従業員から何も言われなかっただけでした。それを「自分は仕事ができるから」と勘違いしていたんです。職人になってからは、かなり厳しく鍛えられました。いまの自分はその頃のおかげです。」
「お金持ちのときと貧乏のときの極端な経験をしたおかげで、とてもませたヤツになっていたと自分でも思います。だから職人仲間から「すかしてるんじゃねえよ」といじめられました。職人仲間がどんちゃん騒ぎしたり、羽目を外した入りするのを一歩引いて眺めているだけで、関わりたいとはまったく思わなかったんです。それでも職人仲間と関わらざるを得ないときに、出会ったのがパチンコでした。」
「いつも(Dさんのことを)怒鳴りつけ、小突いてきた先輩だったとしても、パチスロになると態度が変わりました。仕事が終わると自分を車に乗せ、パチスロ屋の前まで強制的に連行して、降ろしてくれるんです。」
「はじめてパチスロに手をだしたとき、ビギナーズラックはありませんでした。だけど、大音量と高速で光り輝く画面を見つめていると、パチスロに没頭することができ、心のなかに渦巻く嫌なことが忘れられて、とても落ち着くことができました。しかも、職人仲間の誘いを断らず、それでいてひとりになれるんです。パチスロにはまったのは、こうした理由が大きいと思います。だから、パチスロはお金のためじゃないんです。とても落ち着くからはまったんです。」
「そのあと、パチスロ好きが高じて、パチスロ屋の店員になりました。そこでパチスロについての様々な技を身につけることができました。不正行為を見抜けるようになるために、店員もひととおりの不正行為ができるように訓練するんです。とても辛い職場でしたが、そうしたテクニックをすべて身につけるまでは我慢しようと心に決めていました。身につけたあとは、夜逃げしました。そして、全財産をつぎ込んでパチスロで勝負してみたけど、まったく歯が立たず、すべて失ってしまいました。これ以上やっても儲からないと痛感したので、もう足は洗おうと思います。」
とにかく風呂場の修善をきっかけに、施設利用者全員との関係が劇的に改善します。これまで冷たく突き放していた高齢の利用者さんたちから認められるようになったのです。すると別の問題が生じはじめました。高齢利用者EさんがDさんを映画に誘ったかと思えば、別の高齢利用者Bさんが外食へ誘うようになり、最終的には、Dさんの空き時間の奪い合いが起こるまでの騒動に発展していったのです。
いま振り返ってみればこの騒動こそ、Dさんの抱えるコミュニケーションの課題に起因する問題の典型的なあらわれかただったのではないかと、いまの私であれば指摘できるのですが、そのときの未熟な私には、こうした問題が生じても、何ら引っかかる気持ちは起こりませんでした。
ちなみに、何が問題なのかを先回りして説明しておくと、それは、Dさんの本心とは関係なく、相手が望んでいるであろう気持ちを相手の言動や態度をとおして読み取り、先回りして相手にあわせることで機嫌を損ねないようにするという感覚です。父親の暴力におびえて過ごさねばらならいという生育環境から逃れられないDさんは、その結果、この感覚を研ぎ澄まし、洗練させていくことになります。
いったんこうした感覚を身につけてしまうと、とても困ったことになります。自分の本心とは異なっていたとしても、相手の気持ちに寄り添った言動をとってしまうため、Dさんの本心のほうは、相手に支配されているような感覚にとらわれてしまい、自分の気持ちを押し殺し続けるような感覚を抱き続けざるを得なくなります。
Dさんの表現を引用すれば、「両親がケンカするのは自分のせいだと思っていました。だから、自分がバカなことをすれば、両親が「(Dさんは)ばかだなぁ」といって笑って、仲直りをしてくれるのではないかと考えて、じっさいにケンカがはじまりそうになると、あえて両親の前でバカなことをしていました。けれどいまくいかず、いきなり父から殴られるなんてことがしょっちゅうありました」、というような具合です。
Dさんのこころの葛藤を知らない人からすれば、「気がつきすぎる」性格ゆえに、よく気がつく好青年だと評価したり、逆に、うっとしく軽薄なヤツとみられながら生きてこざるを得なかったのではないかと、見立てられそうです。
さて、はなしを戻します。3ヶ月もたたないうちに、施設で一目置かれる存在へとDさんは生まれ変わります。この頃には、自己破産の手続きにも自ら取り組みはじめます。そして「アルバイトをしたい」と希望しはじめます。
このはなしの流れだけを評価すれば、とても前向きにがんばっていると判断してしまいそうです。
ですが、これこそ依存・嗜癖の恐ろしさであり、「精神障害」とみなさなければならない理由がはっきりとあらわれています。
そもそもDさんは、国民の3大義務のひとつであるはずの"働くこと"を免除され、その代わりにギャンブル障害の治療に専念するために生活保護を受給したはずです。福祉事務所も施設側も、そして肝心のDさんでさえ、この支援方針に同意したからこそ、生活保護制度を利用できたのです。
ですが、3ヶ月経っても、治療のはなしだけは一向に進んでいません。
このことに気がついた職員の私は、根気強く通院するよう声がけしつづけました。すると、ようやくDさんから次のような報告がありました。
「先日、(ギャンブル障害治療で有名な)雷門メンタルクリニックに行ってきました。だけど、面談時間は3分しかなく、こちらの話を聞くようなこともありませんでした。なんだか流れ作業みたいだなぁと感じました。それと、お医者さんが金のネックレスや時計をじゃらじゃらつけていて、あまり相談したいという気分にもなれませんでした。以前通院していたSクリニックのほうが、まだましでした。いちおう、「GA(ギャンブラーズアノニマスの略、ギャンブル障害の当事者が同じ過ちを繰り返さないために自らの体験を話し合い、励まし合うための自助組織、以下「GA」と表記します)に参加してから、また(雷門メンタルクリニックへ)来るよう」に、先生からは言われました」とのことでした。
続けて「就労については「可」といわれました」との報告もしてくれました。福祉事務所などで就労指導を行う場合、精神的な課題のある人については、就労できるか、してもよいかという点について、医師に診断してもらうことがあります。Dさんは先回りして、先生から就労可の診断をえていたのでした。
さらに稼いだ収入については「職員の方で預かって金銭管理してほしい」と、Dさん自ら申し出てくれました。職員も金銭消費状況を確認できるので、これなら一安心と判断してしまいそうです。
ですが、Dさんが伝えていることは、やはりギャンブル障害という問題を無視しています。言い換えると、稼いだお金でギャンブルができる状況をつくりだそうとしているわけです。
当時はまだ約3ヶ月だけの関わりでしたが、ギャンブル問題を除けば、人柄も生活状況もDさんには問題がなさそうです。修善の手伝いだけではなく、ギクシャクしていた人間関係も、すっかり良好な関係に改善しています。こうしたDさんの実績だけを評価していくと、ギャンブル障害の問題が色あせていき、二の次の課題として扱ってしまいそうになります。
ですが、雷門メンタルクリニックの先生は、きっと、一瞬で気づいたに違いありません。ギャンブルのために200万円以上の借金をつくり、そのために生活保護まで受給して自己破産せざるを得ない状況にまで追い込まれているはずの、まだ20代半ばのDさんが、ギャンブルをやめたいと本気で悩むことなく、思い詰めてもいないという事実にです。言い換えれば、こうした状況をつくりだした自分自身にDさんは向きあおうとする気配がみてとれないのでした。
つまり、この時点ですでにDさんは一種の人格障害に罹患しており、ギャンブルのためであれば、自分にも他人にも平気で嘘をつける人格に変容してしまっていたのかもしれないのでした。
そんなこととは想像だにせず、当時の私は、Dさんの課題を楽観的に捉えていました。もちろん、肝心のギャンブル障害の治療が抜け落ちていることには気づいていました。ですが、福祉事務所の担当ケースワーカーとも支援方針は共有していたので、ケースワーカーさんから声がけしてもらえば、ちゃんと通院するだろうと簡単に考えていたのです。
Dさんは「GAに通ってから雷門メンタルクリニックを再受診します」と、ケースワーカーさんに返答しつづけていたものの、参加していませんでした。こうした事情を知った職員の私は、しびれを切らせて「一緒に行く」と申し出でます。すると、さすがに「ひとりでGAに参加します」と約束してくれるところまではいきました。
その翌日、さっそく、結果を確認します。
すると、「GAに参加しようと北千住には向かったのですが、早く着いたので暇つぶしにパチスロをしてしまい、所持金をすべて使い切ってしまいました」と、どこかスッキリした雰囲気のDさんから報告がありました。
この頃は、金銭管理をはじめた直後だったので、生活費として40,000円以上預かっており、Dさんの手元にある生活費をギャンブル浪費しても生活破綻には至らない状況でした。
そしてギャンブル浪費したあとのDさんは、率先して施設運営を手伝ってくれるようになります。例えば、高齢利用者さんがトイレで粗相をすれば、愚痴も言わずに昼夜問わず率先して掃除してくれたり、ゴミ出しを協力してくれるのです。
率先して手伝ってくれるDさんの姿は、ギャンブル浪費してしまったがゆえに、何かしら罪滅ぼしをしているのではないかと思えなくもありません。確かに、そういう気持ちを否定はできないでしょう。ですが、より肝心なのは、こうした善行を重ねることで徳が貯まり、次回ギャンブルするときにツキや幸運が回ってくるはずであるという一種の信仰を、Dさんは実践しているにすぎないという理解のしかたです。
どうでしょうか。依存・嗜癖って恐ろしいですか?
翌月、月一回の生活保護費支給日当日のことです。福祉事務所まで生活保護費を一緒に受け取りに行くと、「所在不明だった実母の住所がわかりました。経済的な扶養はできないと正式な回答がありましたが、連絡は取りたいそうです」と、ケースワーカーさんからDさんへ報告がありました。
10年以上所在不明だった実母に、「会いたい。住所を知りたい」とDさんが言い出すことは、しごく当然なことです。ですが、感動の再会という流れから、「今月の生活費は金銭管理せずに、母親と再会するための交通費等に充てたい」と、Dさんから相談を受けました。
先月の一件をふまえれば、ここは心を鬼にしてでも金銭管理を主張しなければならない場面でした。ですが、感動の再開を妨げることは自分にはできないという情に流され、生活費のすべてをDさんへ手渡してしまいました。
そして翌日、母親との再会の顛末を確認します。
「実はきのうパチスロ店に行ってしまいました。交通費としてPASMOに入金した5,000円以外は、すべて(の生活費を)ギャンブルに使ってしまいました」と、今回もスッキリとした様子のDさんから報告がありました(ちなみに、他利用者さんに確認したところ、このPASMO入金のはなしも嘘のようでした)。
いたしかたなく、預かっていたお金を、生活費に充てることにします。ですが、いま振り返えれば、最初から預かり金があることを勘案したうえで、ギャンブル浪費した可能性は否定できないです。
母親と再会する名目でえたお金でさえギャンブル浪費してしまっているにもかかわらず、GAにも雷門メンタルクリニックにも、通うそぶりはまったくみえませんでした。
その旨、職員の私がDさんに指摘すると、表情から笑いが消え、無言となり、気配を消したような姿でそのまま外出してしまうだけでした。
翌日、ケースワーカーから職員に電話が入ります。
「Dさんが福祉事務所にやってきています。「雷門メンタルクリニックの診断は、たった2分で終わった。通院しても意味がない。早く働きたい」とDさんは言っています。就労は可能だと思いますか?」とのことでした。
「施設での生活にも慣れ、特段することもなく、暇をもてあましつつあることは事実です。Dさんの課題は金銭感覚だけのようなので、働けるのではないかと思います。ですが、就労自立(生活保護ではなく就労収入だけで生活できるようになること)したとしても、これまでのやりーとりをふまえれば、Dさんが生活破綻するのは明かだと思います。金銭消費能力の確認のために、たとえば、10万円くらいの就労収入からはじめて、3ヶ月から6ヶ月ほど利用料や生活費を自分でやりくりできるか、確認するのはどうでしょうか」と回答しました。
帰寮したDさんと、あらためて話し合います。
「雷門メンタルクリニックの診断には、本当に腹が立った。仕事をしたいと思ったのは、昨日、十数年ぶりに母親と電話ではなしができたからで、いまはとてもやる気です。気持ちを切り替えてがんばりたい。もちろん現金を手にしたら、ギャンブルに使ってしまう不安もあります」とのことでした。
結論として、あと3~6ヶ月のあいだは金銭管理をつづけ、就労収入を増やしながら金銭消費能力を確認することになります。
振り返ってみると、最も重要な「ギャンブル障害の治療」という支援方針がいつのまにか消失し、その代わりに、ギャンブルしても「しかたない。その都度仕切りなおして、がんばっていく」という方針に転換してしまっています。それだけではなく、「ギャンブルする」という選択肢が生まれてしまっていることに、このときは気づけていなかったのです。
こうして、そのあとは何をしても、すべてギャンブルに結びついてしまう生活がはじまっていくことになります。
たとえば、1週間分の生活費として1万円をDさんに手渡せば、「いまギャンブルしたい気持ちになったので、靴を買いに行きます」と言い残し、出かけます。
このDさんの言動は、施設を複数回渡り歩いた経験のある利用者さんからすると「あれは、「1万円の靴を買うくらいなら、ギャンブルして2万円に増やしてから靴を買おう。もしスってしまったら、靴は必要ない」という意味だよ」と翻訳できるそうです。
半信半疑で、帰寮後のDさんに確認します。すると案の定「ギャンブルしてしまいました。でも、9千円勝ちました」と、いつものとおり、すっきりとした表情で報告してくれます。
この報告も、翻訳する必要があります。ふつうの理解であれば、「「9千円勝った」ということは、1万円を元手にしているので、現在手元に1万9千円が残っているはず」となるはずです。ですが本当の意味は、「ギャンブルしているあいだに、たしかに9千円勝った瞬間はあったが、最終的には負けて0円となった」ということだと気づけるようになるためには、職員の私ももうすこし経験を積む必要がありました。
上述のとおり、ギャンブル障害の典型的な症状として、空気を吸うように嘘をつけるようになるという点が挙げられます。ですが、ふだんは素直で協力的なDさんの姿を知っていればいるほど、頭ではわかっていても、腑に落ちず、改心しているのではないか?と、関係者はみな油断したり、誤解してしまいます。
当時の私は、まだギャンブル障害の実情についての認識が甘かったので、「ギャンブルしてもかまわない。金額を決めてそれを下回ったら、何時でもよいので電話連絡してほしい。ギャンブルしたい衝動が湧き上がったときも電話してほしい」など、もっともらしくきこえても、現実的には薄っぺらいテクニックを伝えて悦に入り、依存・嗜癖は途中で止められるはず、などと、浅はかな考えにとりつかれていたのでした。
本心からやめたいという気持ちが芽生えないかぎり、すべての支援は無駄に終わることになります。
さらに困ったことは、施設にいるかぎり、ギャンブルで生活費を使い果たしたとしても、しばらく耐えれば、給与や生活保護費という軍資金が手に入ってしまいます。こうなると、やめどきが見つかりません。
というよりも、ギャンブルのために生きていると信じ込んでいる人から、ギャンブルを取り上げることなどできないと表現したほうが、正確なのかもしれません。これこそギャンブル障害支援が抱える最大の課題といえるはずです。
(2)施設利用者だったころ~施設での支援中期
施設利用開始から6ヶ月経過した頃には、月10万円ほどの就労収入を得られるようになっていました。とはいえ、現金を目にすると、どうしてもギャンブル浪費してしまいます。何かしら理由をつけては、預け入れたお金を引き出したり、預けること自体を辞退するようになってしまうのです。
たとえば、実母との再開という理由で預かり金を引き出せる経験をすれば、次は「(F市に住む)実姉と会いにいくから交通費と食事代が必要」という大義名分をとおして、預かり金を引き出そうとします。じっさい施設所在地とF市は離れているため、交通費がかかることは確かです。
ですが、預かり金を渡しても、その結果は、「待ち合わせ場所まで行ったが、早く着いたから」「姉が遅刻したから」など、何かしらの理由を見つけ出してはギャンブルしてしまうということになります。そして「お金が尽きたので、会わずに帰寮しました」と、はつらつとした表情で報告してくれるのでした。
ときどき、「実姉と会って話した」と述べて、その内容を伝えてくれることもあるのですが、電話でこと足ります。
別の例としては、預かり金を引き出したあと、買い物しているはずの時間帯に、抜き打ち的にDさんへ職員の私が電話をかけたときのはなしです。あきらかにパチスロ店にいる音が聞こえているなか、「パチスロ店に行ってパチスロしそうだったけど、職員の電話があったから我に返ることができました。いまから散髪にいきます」というような露骨な嘘をつくようになります。もちろん帰寮したDさんは、散髪などしていません。
こうして、お金に関係するDさんの発言は、すべて信用できなくなり、この結果、服を買うとなれば、職員の私が一緒に同行し、代わりに支払いをせざるをえなくなります。
この頃のDさんは、裁判所から自己破産の許可を得ており、借金はできません。もちろん生活保護法上も、どのような事情があるにしろ、してはいけません。ところが、いつのまにか実母からしていたのです。実母から届いた現金書留を見つけて発覚しました。Dさんを捨てた実母の弱みにつけ込んで、現金を送らせていたのです。個人間の送金までは公的機関は把握することは困難です。なんら権限のない職員からは、Dさんに収入申告するよう念押しすることくらいしかできません。
とはいえ、さすがにここまで職員の私にバレると、Dさんも金銭管理を拒み続けられません。母親からの仕送りがバレたことをきっかけとして、Dさんは仕事を辞めてしまいました。
と、時期を同じくして、トイレにタバコの吸い殻を捨てて、便器を詰まらせるという事件が起きます。犯人はわかりませんでしたし、あえて犯人捜しはせずに、全利用者に注意するだけにとどめて、様子を見ることにました。
ですが、犯人だと疑われること自体がいやだと感じた利用者さんたちが、「犯人はDさんだ」と、あっけなく特定してしまいます。あえてトイレを詰まらせて、それを修善する姿を職員の私にみてもらうことで、失った信用を取り戻すだけでなく、高めるこことができることを狙ってのことでした。そうすれば、金銭管理のお金を少しでも多く引き出せるかもしれません。それだけでなく、感謝されれば、(Dさんの信仰によると)徳も高まるということになります。
Dさんはこのような人格であるということを、ようやく私が冷静に受け止めることができるようになった瞬間です。
こうして様々な経験を積ませてもらった私は、「ギャンブルに行く機会は減ったけど、負けることも多くなり、ほとんど儲からないです」「ギャンブルする頻度は確実に減っています」と主張するDさんに対して、「頻度ではなく、限られた生活費のなかで、うまく生活できているか?」と、冷静に質問できるようになります。
Dさんのほうは、無表情になり外出することが増えるようになります。そして、帰寮後、無言のまま、大量の食料の入った袋を両手に抱え、見せつけるようにして自らの居室に戻るか、あるいは逆に、「ギャンブルに使ってしましました。自業自得なので我慢します」と述べ、職員のせいでギャンブルしてしまったかのような様子で、居室に戻って、閉じこもる生活を繰り返しだすのでした。
別の日には、「実は、最近パチスロ楽しくないんですよ。というよりも、やりたくなくなってきました」と、Dさんから告白がありました。ですが、その頃の私は、「それって、嗜癖が深刻化してきたんじゃない? 楽しいからやってたのに、「やめたいな」「苦しいな」と思ってもやめられないから病気なんじゃないの? タバコだって一緒でしょ?」と、すかさず問い返せるまでに成長していました。
そんな日々が続いていたある日、利用者さん一同が会する集会の場で、ギャンブル障害の話題を持ち出すことにしました。
すると、施設内で一番しっかりしているようにみえる高齢利用者Eさんが、「じつは自分もギャンブルで身を滅ぼし、家族を失った。この歳になってやっと落ち着つくことができた」と身の上ばなしを語りはじめてくれました。
それをきっかけに元社長の高齢利用者Bさんも、「自分もアルコールがないと気分が落ち着かなくなってしまった。それで会社を潰すことになったが、それでもやめられずにいた。その後、入院して生死をさまよう経験をしたら、酒を絶つことができた」と身の上ばなしをしてくれました。
すばらしい光景だと感じましたか?
ですが実際のところは、「利用者Eさんが、(施設から少し離れた)パチスロ店から出てくるところを目撃しました」と、DさんがEさんの素行を密告してくれます。その口調はさも同類だと言わんばかりでした。
Bさんについても、警察から私の携帯電話に「お宅の施設の利用者Bさんが飲酒し、無銭飲食したあげく、酩酊状態で居酒屋の店員に暴言を発して困っているから迎えに来てほしい」との連絡が、複数回あったのでした。
つまり、いちど依存・嗜癖を患ってしまうと、脳内変化だけでなく人格変化をも引き起こしてしまうため、完治せず一生つきあって行かざるをえなくなりがちです。こうして生活保護制度に支えられることで、少なくない罹患者が嘘つきのまま、自らに向き合えず、生きているのです。
依存・嗜癖って恐ろしくないでしょうか?
もっとも、この集会のあと、こんな大人たちにはなりたくないと痛感したのか、Dさんは「仕事を再開します」と、みんなのまえで高らかに宣言します。
その翌日ーー
「相談したいことがあります」と、Dさんが職員の私のところにやってきます。
「生活費に困っており、就職面談のための交通費もないので、お金を貸してほしい」とのことでした。
そうならないために金銭管理や通院等を提案し続けてきたことをDさんへ説明し、職員の私は、ついにきっぱりと断ることができるようになりました。
すると「自分が依存症だと痛感しました」との発言が、ようやくDさんから出てきました。
こうして施設利用開始8ヶ月目にして、ようやくDさんは、自らの課題を認めるに至ったのです。
(3)施設利用者だったころ~施設での支援後期
自らの抱える症状を認め、受け入れたあと、Dさんは努力をはじめます。とはいえ、「はい、そうですか」と優しく受け入れてくれるほど、病気も世間も甘くはありません。
Dさんは20代半ばですが、高校中退のため中卒扱いとなり、そんなDさんでも働ける仕事となると、詐欺まがいのことが少なくありません。公表されている求人内容と、実際の業務内容がかけ離れているのです。
例えば、ハローワークで見つけた求人票には、「日払い」と明記されているにもかかわらず、実際には週払いだったり、業務内容欄にはピッキング作業と記載されているのに、実際に業務に携わってはじめて、引越補助や建築現場の作業員補助だったということがわかったりするなど、明らかに違法性が疑われてもしかたがないような求人ばかりしか応募できません。
ここでくじけてたとしてもしかたがないといえそうですが、これまでのDさんとは、気持ちが違います。
愚痴はいっさいこぼさず「忙しくすればギャンブルする時間も体力もなくなると思う」というDさんなりの理由から、重労働をいとわず、仕事に取り組んでいきます。
ある日は、こんなことがありました。教科書の仕分け仕事から戻ったDさんから、「「簡単な仕事だ」と言われたんですが、実際には力仕事ばかりで、体中傷だらけになりました」と聞かされました。Dさんが袖をまくると、リストカットあとのような切り傷が腕中に刻まれていたのです。
そんな状態になってまで苦労しているにもかかわらず、現地で日払い給与を現金で受け取ってしまうと、どうしてもギャンブル問題を回避できません。「やっぱり、ギャンブルに使っていまいました。稼いだ日はパチスロ店に立ち寄らず帰寮できたのですが、次の日が休みだとどうしてもギャンブルしてしまいます」とのことでした。
そのあとも、仕事をして現金が入ると、翌日にはギャンブルに使い果たしてしまいます。
ですが、毎月の収入は福祉事務所に報告しなければなりません、これを収入申告といいます。収入申告した金額が認定されると、翌月に支給される生活保護費に反映され、減額支給されることになります。
来月の生活費のためにとっておくべき収入をDさんはギャンブル浪費してしまうので、翌月支給される生活保護費はほとんどなく、結果として、ひと月を数千円のお金で生活せざるをえない状況に追い込まれてしまいます。
生活費が貯められず、計画的な金銭消費ができない状況でもがんばるDさんの姿をとおしてみえてくることは、どうやらDさんにとって、自分のこころ(ストレス)を癒やし落ち着かせるため、言い換えれば、自己治療という目的の手段としてギャンブルをしているのではないかという点です。
それだけではなく、Dさんの生活状況から、当初は気がつかなかった、というよりは、Dさんの緊張が解け、施設でふだんどおりの生活をすごすせるようになったからこそ見えてきたことは、どうやらネグレクトのような状態で育ってきたのではないかという点です。
例えば、歯を磨くという習慣が身についていませんでした。急ぎ歯医者さんに予約を入れたときには、時すでに遅しでした。ほとんどの歯が虫歯のため、抜歯せざるをえず、その結果、26才で、ほぼ総入れ歯となります。
居室も、ゴミが放置されてゴミ屋敷の状態でした。空き缶、空き瓶や弁当の空きパックが大量に放置されているのです。声がけすると「あとでまとめて捨てます」と元気な返答は返ってくるのですが、ゴミを分別して仕分けすることに困難を抱えているようでした。
こうした状況を垣間見たとき、ふと「長期路上生活者と同じだなぁ」と感じたのですが、この直感の正しさを、職員の私はあとで知ることになります。
以上のような生活状況が気になり、雑談をとおして、それとなく幼少期のことについて聞き出すことにします。
すると、当時の生活状況が明らかとなりました。
「学校では、いつも廊下で過ごしていました。父から「D(さん)は、オレの長男だから、とうぜんオレのコンビニ経営を引き継ぐことになる。だから学校なんかで勉強する必要はない」と、いつも言い聞かされていました。だから、教室で授業を受けたことはほとんどありません。たまに教室内に立ち入ることがあっても、同級生を見下していたこともあり、ちょっかいを出してしまうので、いつも先生から廊下につまみ出されていました。廊下で寝っ転がっているかぎりは、先生も殴ってきたりせず、(Dさんの存在について)目をつぶってくれていました。だから、いつも廊下で寝っ転がっていたんです」
父親については、次のとおりです。
「K県の警察官でしたが、脱サラしてコンビニ経営をはじめました。一見すると、とても人当たりがよく、誰にでもよい顔ができる人でした。本部の人からも人気があり、従業員もみんな慕ってくれていたんです。ですが、みんなのまえでは悪口も言わず、ニコニコしているものの、家族のまえでは、すぐに「あいつは使えない」と言いだし、突然その従業員をクビにしてしまうような人でした」
「そのうち母とケンカすると、父は家をでていくようになります。別のマンションを借りるんです。でも、3ヶ月もしないうちに、借りたマンションを解約して、自宅に戻ってくるです。そんな生活を繰り返していました。稼ぎはかなり良く、貯金もあったみたいですが、マンションの賃貸契約に毎回お金がかかるので、貯金も底をついたようでした。すると本部に上納するお金や金庫のお金にも手を出してしまいました。とうぜんすぐ本部に見つかり、コンビニの経営権を取り上げられ、クビになりました」
「そのあと、ペットショップを開業したのですが、すぐ動物を殴り殺してしまうんです。動物の遺骸をもった父が「D(さん)、これ川岸に捨ててきて」と、ニコニコしながら自分に渡してくるんです。見かねた実母が、自分(Dさん)の代わりに処分してくれました。でも、そうこうしているうちに、別の男をつくって、母は失踪してしまいました。それからは、父と2人で、動物の死骸を川辺に捨ててました。いま考えれば、不法投棄ですよね」と、ありふれた日常をはなしているような語り口調で、楽しそうに笑っている姿が印象的でした。
「自己治療としてのギャンブル」の背景には、以上のような過去がからんでいるのではないかと見立てられそうです。
金銭管理も継続していたのですが、いかんせん、Dさんはふつう以上に仕事をがんばることができてしまいます。その結果、就労収入が増え、それと逆比例するかたちで生活保護費が減額され、ついには不支給水準にまで達します。しまいには、以前受給していた生活保護費の一部を返還するまでに収入が増えます。
収入が増えること自体はとてもすばらしいことなのですが、計画的に消費すべき収入を、一瞬でギャンブル浪費してしまうため、Dさんは計画的な金銭消費ができず、職員の私も現金を預かることができません。
ついに、生活破綻するに至ります。
と、同時期に「仕事は辞めます」との報告もありました。「体調悪かったので派遣会社に連絡した上で、一日休みました。それで今日仕事に行ったのですが、派遣会社から職場に連絡がなかったらしく、職場の人から「無断欠勤だ」と強く叱責されました。はなしが違うと感じ、派遣会社に抗議の電話をしたら「派遣会社だけではなく職場にも連絡するのは、とうぜんの社会常識」と、これまた強く叱責され、やる気を失いました」とのことでした。
Dさんはまだ若く、自分が「ギャンブル障害である」という病識も芽生えはじめています。金銭管理も受け入れているいまなら、ここが支援のふんばりどころではないかーー職員の私はそう判断してしまいました。
今回の生活破綻の原因は、もちろんDさん本人が浪費したという点につきます。ですが、得た収入をDさん本人が受け取ってしまうところに支援の限界があったのではないかとも考えられます。
だとすれば、給与の金銭管理もできる当会の職員として働いてもらえばよいのではないか?
「支援付きという条件で施設職員をしてみませんか?」と提案をしたのは、Dさんが都営住宅の特別割当に当選し、施設から引っ越すめどが整った日のことです。
実は、以前にも2回、特別割当を利用して、Dさんは都営住宅に当選していました。ですが、「ひとりでやっていく自信がない」「ケースワーカーさんと施設職員さんを裏切らないか不安」という理由で、2回とも辞退していました。
今回も辞退しようとしていたのですが、そのタイミングで提案しました。
福祉事務所のケースワーカーさんも「ギャンブル障害でいちばん苦しんでいるのは、Dさん本人です。だから、これ以上自分を責める必要はないです。金銭管理も「自分でできる」と言い張っていたのに、いろいろ紆余曲折を経て、いまでは「自分だけでは不安かもしれない」という気持ちにかわったと思います。この「変われたこと」がとても重要です。ですから、生活保護を継続して都営住宅に引っ越し、そこから就労自立に向けてがんばっていくことについて、大賛成です」と応援してくれました。
今回は当選したあとも当会との関わりが続くこともあり、Dさんも都営住宅へ引越する決心を固めます。当会施設での仕事についても「父も公務員だったので」との理由で、Dさんも快諾してくれました。
こうしてDさんが嫌がらないかぎりは、一生の付き合いをとおして支援をおこなっていくことができるのではないかーーなどと、いま振り返ってみれば、浅はかな欲望にとりつかれていたのは、他ならぬ職員の私のほうでした。
月日は流れ、都営住宅引越まで残り数日を切った日のことです、アパート転宅した利用者さんの居室を、Dさんと私で一緒に掃除したあと、施設近くの牛丼屋さんで、遅めの昼食を食べることにしました。
Dさんは牛丼(並)を注文します。
普段の私にとって、牛丼はいわば飲み物、つまり、飲むように食べ終ります。いつ何時、緊急対応の電話があるかわからない環境下で食事をするうちに、身についた食べかたなのです。ちなみにいまは、ゆっくりかんで食べるように鋭意努力中です。
他方で、Dさんは牛丼(並)を、ひとくちづつ口に運び、何度もかんで食べています。一口食べ終わるまで、1分以上はかけています。
私と真逆の食べ方をするDさんに「なんでそんなにゆっくり食べてるの?」と、思わず質問してしまいました。
「実は、義母と義妹と4人で暮らしていたとき、ひとりにつき1個ずつコンビニ弁当を買ってきて、朝昼夜の3回に分けて食べていました。お金がないときは、1個のコンビニ弁当を4人で分けあって食べる日もありました。そうした暮らしのなかで、ゆっくり少しずつ食べるクセが身についたんです」と、はじめて教えてもらうことになりました。
Dさんは都営住宅への引越を終え、晴れて当会施設の支援職員として一緒に働くことにあいなります。
(4)支援付き職員の期間
職員となってからのDさんとのやりとりは、記述が容易ではありません。支援過程についての資料が残っていないからです。
そこで、当時のことを思い出せる範囲でまとめていくことにします。
職員として働きはじめたDさんは、とても気合いが入っていました。
「職員という立場で施設利用者さんと関わると、見えかたがかわった」というのが、初勤務日のDさんの感想でした。利用者さんがコソコソ悪だくみを企てていても、違法性がなければ、ふだんの職員は気づかないふり、知らないふりをしています。ですが、実際には利用者さんの行動を詳しく把握していることが少なくありません。
いわゆる大人の事情を知ったDさんからすると「利用者さんのときの考えかたがはずかしい。勉強になる」と感心しきりでした。
ギャンブル障害については、「一度罹患してしまったら、一生付きあわざるをえない病気」と繰り返し、Dさんに伝えていました。Dさんとしては、職員となったことを奇貨として「二度とやらない」と、断ち切る決意を固める発言を繰り返していました。
ですが、そのかわり、だんだんとDさんの飲酒量が増えていったようでした。
もともと、体質的にお酒を受けつけないはずなのですが、「ギャンブルしないと、仕事の緊張もあってか、夜も興奮が続いてしまい、寝れなくなるので、寝酒するようになりました」と、Dさんから教えてもらいました。そのあとも、寝酒の話題がよくでてくるようになります。
飲酒にともなう眠りは、睡眠の質がもっとも悪いことが知られています。とうぜんDさんも、途中で目が覚めてしまいます。しかも酒を受けつけない体質のため、「(寝酒をして)途中で目覚めると、二日酔いのような吐き気とめまいがつづいて辛い」とのことでした。
仕事をとおして気づけることもありました。たとえば、Dさん前後の年齢層の人は、スマホは使えても、デスクトップ型パソコンは「はじめて使います」ということが少なくありませんでした。
過緊張も明らかになりました。Dさんが電話するとき、とてつもなく緊張して、会話がしどろもどろとなるだけではなく、どもったり、顔の筋肉が振動しはじめます。
Dさんいわく「相手の姿が見えず、声だけで相手の感情を読み取らないといけないので、自分でもあり得ないほどの集中をしてしまうようです」とのことでした。
以前コンビニの店員やパチンコ店員のときに、「緊張して体が痙攣を起こす」と述べていたときの状況を把握することができました。
「電話仕事はしなくてよい」と伝えていたのですが、この頃はまだ補助金もなく、まともに職員も雇えず、職員の私が多くの仕事を抱えていることを見ていたからか、Dさんは服薬しながら苦手な電話仕事も手伝ってくれたのでした。
そしてDさんは、ギャンブル障害ではなく、痙攣問題を解決するために精神科に通うようになります。
一緒に施設運営をしなければあとがない大変な時期でしたが、さらなる試練がDさんに襲いかかります。
住民登録をしたおかげて、Dさんの元に「父親の管財人で、財産放棄をしてほしい」と弁護士から連絡が入ったのです。
この連絡をきっかけとして、長女だけではなく、次女とも連絡がとれるようになります。問題は、次女も生活破綻していたのです。同じ境遇を経験したことのあるDさんが、次女の生活保護申請手続きをひとりですすめます。
たしかにDさんには施設利用者時代や職員となって種々の経験をしてきました。ですが、生活保護制度の運用条件や基準を知っているわけではありません。実施機関によって考えかたの異なることもあり、あとから聞いたはなしによると、申請交渉にあたってはだいぶ手こずったようです。
そして、この次女との関わりが、Dさんを追い詰めていきます。お金がなくなると、次女からDさんへお金の無心がはじまったのです。しかも、次女が生活扶助費(生活保護制度上の生活費のこと)を使い切る理由は、宗教への寄付、男への寄付、複数男性と恋愛を繰り返す交際費、アニメマンガへの浪費、化粧品への浪費等、Dさんと同じ依存・嗜癖傾向が見てとれます。最終的には、人格障害と診断が下り、入院か施設異動を余儀なくされますが、これはまた別の話なので割愛します。
とにかく次女との関わりが精神的なストレスへとつながっていき、「ギャンブルしないと決めのはいいのですが、こんどは大酒飲みになってしまいました。飲酒すると体調が悪くなるので、やっぱりギャンブルに戻ってしまいました」と報告があった頃には、依存先は、ギャンブルだけではなくお酒へと広がっていたのです。
そして、悲しいことに、この広がりこそが、依存症の典型的な特徴なのでした。
仕事については、職員の私がいくらでも調整をつけられるのですが、個人的なことや家族の問題はそういはいきません。こうして、Dさんは自分の問題だけではなく、次女の生きにくさも抱え込んでいき、ギャンブルにのめりこまざるをえない状況を自らつくりだしていきます。
職員の私がDさんの金銭を管理してはいるものの、生活破綻の足音が忍び寄ってきます。
ある日、Dさんあてに無記名の封筒が届いたのです。Dさんと一緒に職員の私が封筒を開封すると、いわゆるヤミ金業者からの営業チラシでした。私はすぐに処分しようとしたのですが、Dさんの反応は違いました。しばらくチラシを眺め、「自己破産しているので、お金は借りられないと思い込んでいました。ヤミ金からでも融資のはなしをしてもらえたので、本当にうれしいです」と、本心から喜んでいるようでした。
銀行や消費者金融などの金融機関であれば、借金できなくする制度(貸付自粛制度)があります。ですが、ヤミ金までは止めようがありません。「しまった!」と不安を感じた私は、べつの職員にお願いをして、Dさんのお部屋まで同行確認してもらいます。
すると、「お酒の空き瓶と空き缶が大量に転がっていて、お部屋の中がすごいことになっています」と、まるで倒れた人でも発見したときのような興奮混じりの声で同行職員から報告があがってきました。ごみの量がひどく、ヤミ金等のチラシ、借金や取り立て等の確認ができないありさまでした。
電話を代わってもらい、「Dさんが自分で部屋の掃除ができないようなら、職員も協力して掃除する」と伝えます。すると、「余計なお世話です、自分でできます」と、憮然とした口調で返答が返ってきました。
冷静に考えてみれば、Dさんが掃除できないので、代わりに誰かがやらざるを得ないという状況なのですが、代わりに誰かが掃除するという提案自体が、Dさんにとっては、自らを否定するような批判としてでしか捉えられないようでした。
ちなみに、数年たっても問題は解決せず、しびれを切らした職員の私が、そのご介入して清掃をすることになります。
そして、この居室のゴミ屋敷化を職員に知られたことがDさんの我慢の限界となり、ギャンブル再開の引き金となってしまったのでした。
しかも、職員の立場を利用して、施設現・元利用者さんと一緒にギャンブルしてしまうのです。Dさんからすれば、「利用者あがりの職員」ということもあり、利用者と職員という区別が希薄で、利用者は仲間や同志であるという感覚のほうが強かったようです。
たとえば、ある日、事務所でDさんと一緒に仕事をしてたきのことです。ふだんは事務所に顔を出さない利用者さんのはずなのに、Dさんがいるとときは事務所にやってきくるようになります。
不思議におもい、Dさんに確認しても、ニヤニヤした薄気味悪い笑いを浮かべるだけでした。
そのあと、ある利用者さんからはなしを聞かせてもらい、職員の私は事態を理解します。
他の職員が帰ったあと、施設近くのパチスロ店で、Dさんと利用者さんたちが一緒にギャンブルを楽しんでいたのでした。しかもDさんが勝つと、勝ったお金を全部、ギャンブルしていた利用者さんたちにあげてしまうのです。その金額は、数万から20数万円までとのことでした。仲間はずれにされた利用者さんが、私に密告てくれました。
生活保護受給者の場合は、ギャンブルでも収入をえた場合には、収入申告する義務が生じます。領収書がなく証拠がないとはいえ、Dさんがあげたお金であっても、相手が被生活保護者であれば収入申告義務があります。無申告だった場合は、立派な犯罪となりえるのです。
これだけでも職員としては問題なのですが、それだけにとどまりません。ことあるごとに、Dさんは「今日できる仕事は明日やります」と発言し、後輩職員を笑わせていました。冗談かと私は聞き流していたのですが、実際に仕事をせず、パチスロ屋に入り浸っていたのです。小口現金をギャンブル浪費し、洗剤、炊飯器やテレビ等の消耗品や施設備品を、無断で利用者さんにあげてしまったり、業務用インターネットを無断で利用者さんにも利用できるようにして、業務ネットワークをウィルス感染させたりします。
利用者さんの居室清掃をおろそかにして、居室中をカビだらけにしたり、風呂場の床を腐らせ、基礎部分にまで被害を与えることもありました。
こんな状況にもかかわらず、Dさんは自らの問題を棚に上げ、当会の施設運営について、「考えかたが違う」「やりかたが違う」と利用者に言いふらします。Dさんの金銭管理についても、「自分で稼いだお金を、自由に使わせてもらえない」「いくら貯金があるのかもわからない」「仕事を辞めたい」と、後輩職員に愚痴るのです。
一見すると好青年に見えるDさんからこうした愚痴をきくと、あたかもDさんが正論を述べているかのようにはなしを聞いた人たちは感じられるようです。そして、金銭管理など、ふつうの人から見れば、Dさんの生活に過度に介入している職員の私のやりかたを知り、「Dさんは(職員の私に)支配されている」と感じて、だんだんDさんに同情的になっていき、今度は仕事に対する不平不満をDさんにはなしはじめます。
こうしてDさんと関わる職員たちは「それじゃ一緒に辞めましょう」という結論に向かって愚痴をはなし続け、退職のはなしがまとまります。すると、「俺、ギャンブル辞めませんから」と、私のまえでDさんは揚々として宣言します。こうして、退職する職員が続出しだしました。
ところが、Dさん以外の職員が退職し終わると、言い出しっぺのDさんは「あれからよくよく考え直したんですが、やっぱり自分にはこの組織しかないんで仕事を続けます」と、平然と言ってのけるのです。というよりも、いまにして思えば、他の職員を退職させることで、職員の私の気持ちが、Dさんだけに集中するようにしていたのではないかとも見立てられそうです。
つまり、「ギャンブル依存よりもコミュニケーションに課題あり」という精神科医の指摘は、この人格障害的な傾向を感じ取っていたのかもしれません。
ですが、人格障害的であるということは、そのツケを自分でとらざるをえなくなるということをも意味します。
Dさんの支えとなっていた職員が全員退職してしまった結果、Dさんはひとりぼっちになってしまいます。そして精神科受診理由も、いつの間にか、過緊張治療からうつ病治療へと変化していきました。
うつ症状を理由に、Dさんが長期休暇を取得しはじめたころ、Dさんの愚痴を聞いていた利用者さんが次のようなことを教えてくれました。
義母妹との同居から逃げだしたDさんは、貯金を元手にプロギャンブラーとして生きていこうとします。しかし、貯金が底を尽きてしまい、電車で多摩方面に向かいました。
そして、たまたま到着した公園で首をつって死のうとしたところ、これまた偶然肝試しをしていた若い男女カップルと鉢合わせになってしまいます。バツが悪くなり、自殺を断念して、そのままベンチで寝てしまったそうです。
次の日の朝、目が覚めると、体中にナメクジが這っており、びっくりしたDさんは急いで公衆トイレに駆け込みます。水で体を洗おうとしたのですが、地元の中学生とおぼしき集団がトイレに向かってきたため、Dさんも大便用トイレに入り、鍵を閉めます。運が悪いことに、中学生集団も公衆トイレに入ってきます。そして、トイレに閉じこもっていたDさんの存在に気づくと、金品を要求しはじめます。なにも答えず黙ってやり過ごそうとするDさんに対して、その集団は、トイレの上から、Dさんに向かってゴミや石を投げ込んだあと、そのままどこかに行ってしまいます。
悔しい思いをしたDさんはやけになり、もときた道を戻りながらコンビニを見つけます。店のなかに入ると、レジのそばにいた店員に向かって「金を出せ」と叫び、すったもんだのあげく、Dさんは強盗未遂として逮捕されます。実刑判決がでて、刑務所に入ったそうです。
以上が、Dさんが利用者さんに話した内容です。ですが、この話を職員の私が聞くと、すぐに嘘だと気づけます。このはなしの程度の強盗未遂が1回では、起訴されることはありません。受刑歴が本当だとすれば、実刑判決までに複数回の軽犯罪歴があったか、もっと重い犯罪を犯していたか、あるいは逮捕拘留時にかなり反抗的だったかということになります。Dさんの人となりからして、警察に食ってかかったり、重犯罪に手を染めることは考えにくいのです。そういうエネルギーがあれば、ギャンブル依存にはなりません。とすると、何度か万引きや強盗まがいの犯罪を繰り返していたのではないかと、推測できます。
そして、受刑中の服役者や刑務所の刑務官等から、生活保護制度や自立支援センターの存在を聞く機会があったのではないかとも感じました。
つまり、Dさんは、自分自身をだましきれずに苦しんでいるのかもしれません。
(5)支援付き職員の期間ーそして入院へ
長期休暇にあたっては、Dさんが仕事といっさい関わらないように、業務用に貸与しているノートパソコンや携帯電話を預かることにしました。ただし、金銭管理は続いており、1週間分の生活費を受け取るため、Dさんは毎週施設までやってこなければなりません。
数日たったころ、ある事実が発覚します。
Dさんから預かった業務用携帯電話に、一通のメールが届いたのです。金融機関からの借入金滞納返済の催促メールでした。自己破産をしてから10年ちかく、私が金銭管理を続けてきたため、いつのまにかDさんの信用情報が回復してお金を借りられるようになっていたのです。
このことに気づいたDさんは、さっそくネット銀行と消費者金融から借金をしていたのでした。
施設にやってきたDさんにメールの件を問いただします。
「自分の生活費の範囲でお金を借りて返済しているので、なんで(職員の私から)批判されないといけないんですか?」と、とても不満そうな口調で返答がありました。詳しく確認すると、合計で約180万円の借金がありました。金銭管理で受け取っている生活費では、すでに割賦返済が難しい状態であり、生活破綻していることは明らかです。
借金については、金銭管理で積み立てたいた貯金をすべて充てることで、即時返金できました。
そのうえで、Dさんと一緒に精神科クリニックを受診します。すると担当の先生から「病的賭博であり、環境因子が大きく働いている。退職が望ましい。速やかに環境を変えること」という指示を受けます。
ということは、Dさんがギャンブル、酒、人に依存せざるをえない状況に陥ってしまった原因は、いまこの記載をしている私自身のせいではないかということになります。ギャンブル障害を抱えている当事者が更生し、支援される側から支援する側にまわって一緒に働いてほしいという私の醜い願望を、Dさんに押しつけてきた結果かも知れないのです。つまり、私のほうこそ支援をとおしてDさんに依存していたのかもしれないのです。
やっぱり、依存症って怖いです。
診断結果を受け、Dさんは久里浜医療センターに入院します。入院後しばらくたってから、Dさんは正式に退職し、金銭管理は実母が引き継ぎました。入院以後、Dさんからの連絡は一切ありません。
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のびた (火曜日, 26 11月 2024 18:31)
未だ高齢でなさそうですので、まだまだ一波乱ありそうな感じがしますが、ご本人が納得するように生きてゆくのでしょうかね。節々にDさんの拘束されたくないという想い、垣間見えましたし、理解出来る面もあります。今後、納得いくまでギャンブルをし続ける感じでしょうかね。その際に資金調達方法として犯罪に手を染めることがあっても驚かないですね。未だ高齢ではないので、施設のサポートが必要だったのか?というのが私の所見です。